親子の断絶

仕事や付き合いで多忙な父親。

有能なので責任ある地位にいる。

そういう父親が子育てに失敗する場合がある。

 

自分では、子どもに手本になりたいと思っている。

立派な生き方を実践しているから、当然、子どもも見習うはずだと。

仕事では我を抑えて無私の精神で頑張っている。

周囲の仲間から尊敬されている。

家庭でも尊敬されるのが当たり前と思う。

 

子どもは各人が多様。

親などいなくても、自立した生き方ができる子もいる。

親の愛に敏感な子もいる。

感じ方は人により様々。

分かりやすい表現で満足する子もいるし、

気持ちの裏側や隠れた情を読み取る子もいる。

敏感な子も、鈍感な子もいる。

普通の音で、キレる子さえいる。

 

子に対する親の接し方は、子どもの特性に合わせないと

失敗する。

それが難しい。

 

子と付き合う時間が少なければ少ないほど、

子の特性を気付くことができない。

親には、そういう心理的なことに関心がない人もいる。

悩んだ経験がない親もいる。

(実際、こころの内部で抑圧しているだけかもしれないが)

 

子の気持ちを思いやり、おしはかるには、

親の体験の質や量が必要になる。

そういう体験がない親もいる。

 

特に、学業も就職も順調で、

挫折の経験がない親は、

子どもを理解することができないことも。

 

親子の話し合いは、

言葉の表面ではなく、裏に隠れている感情や心理や思いが、

重要なのだが、それが伝わらない会話となってしまう。

 

親子の断絶が起こり、

様々な問題行動が生じる。

 

今朝、下記のブログを見ての感想を書いた。

https://ameblo.jp/hikikomori20150622/entry-12461268493.html

 

現金はどこに消えた

アメリカのドルは、世界中で通用する通貨。

FRBによると、米ドルの流通高は1兆5千億ドル(約200兆円)。

そのうち半分が国内に留まる。

日本の円は、米ドルほどの信用はない。ほぼ全額が国内だろう。

 

円の紙幣流通量は、約110兆円。

硬貨類が約5兆円。

アメリカに比べてGDP比では2.5倍になる。

日本も1995年までアメリカと同レベルだったが、それ以後急増した。

日本は、現金信仰がダントツで高いようだ。

 

110兆円のなかで、1万円札が約90%。

高額紙幣が圧倒的。

これらは、国内のどこにあるのだろう。

 

企業の場合、通常、現金管理効率化は基本。

目的なき保有などはありえない。

金庫に寝かすことはありえない。

 

次に、小売業の保有する現金(レジの中にあるもの)。

アメリカでの調査で、通貨流通高の2%未満という。

銀行の金庫に預けられたもの、銀行に運ぶ途中のものを加えても、

わずか増えるだけだろう。

 

銀行の場合も同様。

ATMに入っているもの、金庫内のものを加えても、大きな量にならない。

 

レジや金庫の中ではないとしたら、

紙幣流通量の大部分は、どこにある?

 

2008年、日銀は、タンス預金が30兆円を超えると推計した。

その後の紙幣放出の増加から、さらに増えていると考えられる。

 

日本で、大口取引は口座間の資金移動が普通。

現金が使われるのは、小口だけ。

つまり、庶民の買い物だけ。

故に、110兆円の紙幣の大部分は使われていない。

 

やや多めだが、5兆円分が企業や商店のレジや金庫の中と考え、

約半分の50兆円近くはタンス預金と推定し、さて、

残りの55兆円は、どうなっているのだろう。

 

アメリカの例だが、

個人消費者の現金保有に関する調査がある。

身に着けている現金、家や車に置いてある現金の合計は、

アメリカ国内にある現金の約13%という。

 

ユーロ圏の場合も調査がある。

個人と企業の現金保有高は、通貨流通量の約15%という。

 

日本だけは、ダントツ高い。タンス預金だけで約50%。

ゼロ金利と治安がいいことで現金が好まれるのか。

 

しかし、残りの55兆円は、どこに消えたのだろう。

 

現金は決済に時間がかからないと思う人がいるかもしれない。

つまり、便利だと。

今、モバイル決済の方が確実に早い。

デビットカード決済は現金とほぼ同じ。

クレジットカードは遅い。

小切手はさらに遅い。

 

現金は、毎日サイフの中身を確認しなくてはならない不便がある。

売店主は、現金を数えたり銀行に運んだりと手間がかかる。

現金で取引は不便なのだ。

中国や韓国や北欧の国は、現金離れが急激に進んでいる。

日本も最近になって、やっと腰を上げ始めたが。

 

つづく

 

タンス預金が300万円

長生きしていると、

思いがけない、いいことがある。

まさか、と思う。

まるで、1億円の宝くじに当選した気分。

 

若い頃からの私の夢。

この世から、お金がなくなること。

21世紀中の実現は諦めていた。

でも、22世紀にはありえるのではないか。かすかに。

.

しかし、ここにきて、

俄然、現実性をおびている。

もちろん、数年先ではない。

たぶん、20年や30年はかかるだろう。

しかし、確実にその方向へ向かうことが予想される。

 

その驚きを書きたいと思う。

 

現在、先進国の実質長期金利は、ほぼゼロとなっている。

実質とは物価上昇分を引いたもの。

 

日本は、20年以上もゼロ金利が続いている。

ゼロ金利とは、インフレ期待がゼロのこと。

庶民の感覚では、むしろデフレ状態だが。

給与は下がる、モノの値段も下がる傾向。

モノよりもお金の方がありがたい。

 

ゼロ金利の問題の一つに、

不景気に陥ったときに、金融政策がとれない。

 

今の政府は、ひたすら財政政策。

赤字国債を盛んに発行、

お金を市場に放出しているが、

景気回復はほど遠い。

インフレターゲットも、信じる人はいない。

 

お金は使われずに、タンス預金。

日銀の当座預金だけで、約400兆円になる。

 

今、日本で流通している日銀券は約100兆円。

1万円札がほとんど。

国民一人当たりで計算すると、現金を約80万円。

4人家族なら、300万円以上の現金を家でタンス預金している勘定。

その他、紙幣以外の硬貨が約5兆円。

 

本当にこんなに沢山のお金を

各人が持っているのだろうか。

貯金ゼロという世帯が約半数というのに、

信じがたいことだ。

 

つづく

 

社会を変える力

言友会は、吃音のセルフヘルプグループ。

全言連(全国言友会連絡協議会)は、そのNPO全国組織。

全言連ニュース、最新号に、

南孝輔さんの投稿が載っている。

 

南さんは問いかける。

「吃音のある人は孤独だと思います。ですから、私の名刺には

吃音の孤独からの解放、合理的配慮を求めます、

というフレーズを書いています」

 

吃音でありながら生きる意味。

私たちを取り巻く家庭や地域社会、学校や職場がどうあることが喜ばしいのか。

私たちが生きているこの世界との関係をどうしたいのかを描く「グランドデザイン」。

私たちが望む社会をどうやったら作ることができるのか。

 

キーワードの一つは多様性だという。

個々人の違いを受け入れる。

もう一つは、

「私には吃音があります」と言えるようになる。個々人の成長。

 

さらに、社会を生きやすいものに変えていく、グランドデザイン。

それらは、全ての障害者の福利につながるもの。

 

吃音に対する理解を広め、差別を解消し、合理的配慮を求めるのは、

吃音の仲間のためだけでなく、障害者全体の福利にもなりえるように。

 

そのうえに、障害者だけでなく、

すべての人々の暮らしや生き方が、より実り多いものになるような、

そういうプラン、デザインが望ましい。

 

人は誰も皆、生きるのに苦労している。

生きづらさは、人に共通している。

重いか軽いか、

自覚している、いないの違いはあるが。

 

障害者の場合、

個々人で障害のあり方が、全く異なる。

ひとり一人がこの世で唯一の悩みをいだく。

乗り越えるには、各人が工夫し、独創せざるを得ない。

それができないときは、通用しているモデルを採用するしかない。

健常者も同じだろうが。

 

吃音では、

通用しているモデルが、そもそもない。

治療法もない。

各人が苦闘するしかない。

 

人間社会、一人でできないことは多い。

仲間がいれば、いくらか助けになる。

セルフヘルプグループとは、そういうもの。

人は友人や理解者が多いほど、この世の生きづらさが軽くなる。

 

個人では何もできなくても、

グループや仲間がいれば、少し前に進める。

 

今、ようやく、障害者への福祉が真剣に考えられ始めている。

障害者も世の一員として、

社会の中で幸せであることや、主権者・市民としての役割が、

認識され始めている。

 

障害者も、社会を変えていく力が期待されている。

健常者中心の社会ではなく、全ての人々のための社会。

 

 

 

皆さまなら、どうされます

今朝、一番の記事は、

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/27歳で生活保護を抜けた男性が今、直面する「絶望」/ar-AAALepj?li=AA570j&ocid=spartanntp#page=2

27歳の男性の話。

 

都内で10万円で暮らすのは、相当に難しい。

よい友人や、親類や、支援者でもいれば、可能だろうが。

 

夜間中学から夜間高校くらいは行かないと、

仕事を探しても、安定したものはないだろう。

犯罪歴や発達障害もあるのでは、さらに大変。

 

皆さまなら、どうされます。

将来と私の夢

人の世に、こころの清らかな人はいるだろうか。

たぶん、一人もいないだろう。

 

赤子は、こころが育っていない。

人は、長く生きると、まず、清らかになれない。

生きることは、汚いものをいっぱい経験すること。

釈迦やキリストも。

 

マザー・テレサがいるではないか。

そういう声もあるかもしれない。

汚い世界の中で、誰も清らかにはなれないのが当然。

 

アメリカのCIAがどれほど悪いことをしているのか、

また、中国のウイグル問題、

世界は汚さにあふれている。

昨日も日本の外相がサウジで会談。

トルコでの記者殺害を暗に認める発言をしたとか。

 

政治は、そういうものだと、多くの人は思っている。

社会とはそういうものだと。

北朝鮮拉致問題も、その一部。

 

どの問題が大きく、どれが小さいか。

誰も分からない。

日本で云えば、フクイチ問題が最大だろう?

長期のデフレと格差問題も大きいが。

私には判断できない。

そして、

よい案も浮かばない。

一つの対策で解決できるような単純な問題ではなさそう。

 

日本の現状、安倍さんについて考えてみる。

安倍さんの売りは、外交だろう。

しかし、外交だけは、公開しない秘密が多く、普通の庶民には判断しようがない。

うまくいったことしか、アピールしない。

アメリカの外交が典型。

 

日本は、少なくとも、中国や韓国や北朝鮮やロシアなど

近隣諸国とは外交ルートがあるようだ。

戦前の日本のように、独善的外交はない。

最低限の点数は与えられる。

 

経済対策を考える。

これは難しい。

専門家さえも、意見の不一致。

経済指標がどれほど正確なのか、

経済の実態をどこまで把握しているのか、

それさえも、疑問が浮かぶ、昨今。

 

安倍政権が日本の将来を、どのように考えて、

政策を立案しているのか、それも、よく分からない。

オリンピックや一億総活躍と騒ぐだけで、

100億を超える予算を使い、

何もしていないような感じさえする。

 

何もできないから、

現状維持なのだろう。

先送りだけは、得意だが。

これは、歴代の政権と同じ方針。

 

憲法改正は、安倍さんの誇り。

何としても達成したい悲願かもしれない。

 

しかし、100年後に、国がなくなる時代が来ると、

安倍さんは夢にも思っていないだろう。

たぶん、天皇制もなくなる。

 

21世紀は、大変化が予想される。

世界的な大格差が、是正を迫られる。

 

先進国の経済破綻が先駆けとなるだろう。

日本がトップランナーになるのではないか、と

私は感じるが。

 

国債暴落、日本株の急落、銀行の国有化。

円安とインフレ、大不況。

そして、中国、アメリカも同時に不況へ突入。

 

中国の国内がどのようになるのか、

予想ができない。

軍の暴発もありえる。

革命の恐れさえも。

 

日本は、大不況でも、

何とか凌ぐだろうと思う。

東日本大震災も凌げたのだから。

そして、

既成の政治家や既得権への批判が高まるだろう。

政治家の大幅な入れ替えが行われるかもしれない。

 

一人当たりのGDPは、半分以下になる可能性。

しかし、生活の実質は変わらない可能性も。

贅沢品は市場から消える。

 

これからの日本は、

文化を中心にして国づくり、地域社会づくりができないかと、

私の夢と希望。

 

平成最後の気ままな夢想を書いた。

障害をもった子が欲しい

今日、一番の記事は、朝日の生活面。

「この体だからこそ、出会いがある」

案積遊歩さんと娘の宇宙さんの記事。

 

宇宙さん(22歳)が語っている。

「いつか子どもがほしいなと思っています。

自分で産んでも養子でも、どちらでも。

子どもに障害があったら、それでいい。

あえて言うなら、障害をもっていてほしい。

だって、私の経験を共有できるじゃないですか。」

 

ここまで障害を肯定的に言うのは、

すばらしいと思う。

 

障害は人生を豊かにする。

これは、私の持論だが。

 

普通の経験しかない人に真意を伝えるのは

なかなか難しい。

 

真剣に生きるなら、人生は障害に満ちている。

しかし、多くの人は、真実を見ようとしない。

 

例えば、受験。

勉強ができる人は、当然のように皆が評価。

真実が分かれば、当然ではないと知るのだが。

当たり前のことではないのだ、

教師も親も気づかない。

 

例えば、公務員になって仕事をする。

前任者や先輩や上司の指示をきちんと守る。

それが、当然だと思う。

しかし、当たり前ではない。

それに気付かないだけ。

 

障害こそ、人生を豊かにする、

もっとも確かな道なのだ。